防災特別委員会

     



 
第10回 2006年11月28日
廣瀬 由紀(ひろせ ゆき)

技術士(情報工学部門)
 本から学ぶ防災減災
  私の好きな作家の一人に吉村昭がいる。綿密な取材に基づき、ノンフィクションのような淡々とした文章の中にも、人間の深部を探るような作品が多く、何度も読み返したくなるような作品がたくさんある。(惜しくも今年7月に亡くなってしまったのだが。)その吉村昭の作品2冊を取り上げて、防災減災について考えてみたいと思う。「関東大震災」「三陸大津波」である。

 「関東大震災」を読んで、まず思ったことは、地震そのものの恐ろしさより、パニックや誤った情報によって引き起こされる混乱の恐ろしさである。これは、地震だけでなく、未曾有の事態に襲われたとき、人間がどう行動するかという問題である。例えば、地下街で地震に遭遇した時、その地下街は安全であるにもかかわらず、我先に出口に殺到したために、人の波が災害となってしまうようなことは想像できないことだろうか?
 平常時に、想定訓練を行い、とっさの時に無意識でも安全な行動がとれるように。具体的な災害をイメージし、その時とるべき行動を予め考えておく。そのためには、このような本・テレビ・映画などを活用することも有効だと思われる。単なる知識で終わらせずに、感覚的に災害をとらえられるような機会が必要ではないだろうか。防災訓練でも、やみくもに避難するのではなく、毎回テーマを決めて、そのテーマに沿った対応を考えることで、参加者の意識を向上させることもできる。
 また災害に関する基礎知識をもつことで、デマに惑わされない準備ができるのではないだろうか。統計として目にしたことはないのだが、日頃から災害に備えたり、関心を持っている人の方が、災害時の生存率は高いのではないだろうか?
 自分だけは大丈夫と考えてしまう「正常化の偏見」も危険である。そういう特性があるということを知っているだけでも役に立つと思われる。
books

 次に「三陸大津波」である。これは、明治29年、昭和8年、そして昭和35年に三陸沿岸を襲った大津波の生の証言をまとめたものである。特に明治29年の津波は、世界史上第二位の大津波であり、実に2万6千余名もの犠牲者を出した。今となっては、既に生き証人もない過去のできごとではあるが、スマトラ沖津波の報道からも、改めて津波の恐ろしさを知るものである。今後、またいつか確実に襲来する。その時、果たして防潮堤で防ぐことはできるのだろうか。
 たまたま、私は今年の夏、宮城県気仙沼に旅行する機会があった。真夏にもかかわらず深い霧に覆われた天候であった。今でこそ国道が整備され、東京からでもそう遠いという印象はないが、明治時代であれば、三陸沿岸の村々は陸の孤島ともいえるような地域であったということだ。(写真は、気仙沼から回った岩手県一ノ関毛越寺の古代蓮)その村々が、文字通り壊滅してしまったような津波被害があったのだ。
 過去の経験を風化させてはいけない。しかしながら、津波が襲ってから年月を経るに従って、人々は、また海に近い土地に戻り始めてしまう。生活には、そのほうが便利だからだ。いつ来るか来ないのかわからない津波のために、日々の不便を我慢しろと責めることはできまい。
 過去に、こんな災害が実際にあったということを子供のうちから教え込むことも重要である。地域の特性に合わせた防災教育の重要性を感じる。

Flower
  最後に、おまけでもう一冊。「漂流」これは、江戸時代、無人島(鳥
島)に流れ着いて、なんと12年後に自分たちで船を再建し、故郷に帰り
着いた人の話である。ここから学べることは、ただひとこと「あきらめて
はいけない」である。
 昨今、緊急地震速報システムの実用化がスタートし、ワンセグ放送・
ICチップ利用など情報工学の分野でも災害時に役立つ新しい技術が
次々に現れる。しかし、技術に頼りすぎると、人間本来のサバイバル能
力が逆に衰えていくような気がする。非常時に自分達の力で、生活を
維持できるのかを振り返って見直してみることも必要である。
 人々の継続的な努力と、新しい技術利用で防災減災対策が前進する
ことを願う。
   


(社)日本技術士会  防災特別委員会  〒105−0001 東京都港区虎ノ門4丁目1番20号 田中山ビル8階