防災特別委員会

     



 
第9回 2006年11月14日
米田 千瑳夫
 防災技術というもの
 現在、社会全体で防災体制の整備が進められている。(社)日本技術士会でも防災特別委員会(防災支援委員会)が軸になって地震防災を照準に据え、種々の企画、情報発信を行なっている。平時に災害状況を想定し、事が起こったときの備えを十分に図っておく、災害による被害を最小限に抑える、といった防災のコンセプトに対し、努力が続けられている。
 一方、天災は忘れた頃に…と昔から言われてきたが、災害状況が即時に世界の隅々まで紹介される情報社会の現代ではどうだろうか。人間には平穏志向心理があるというものの、少なくとも通信ネットが整備されている範囲にいる私たちの間では、絶えず世界の災害情報が報道され、災害発生に備える思いは共有しているように思われる。


 とはいうものの、先日(2006年11月7日)の北海道佐呂間町の竜巻災害にも象徴されるように、相手は自然現象、いつどこでどのような被害をもたらすか予測が難しい。予防としていかに備えようとも、その隙間、狭間をついて災害は発生する。そしてその結果事象を捉えて、初めて対策の充実が求められる。
 極論はよくないが、自然相手では防災技術の多くは臨床学的技術とならざるを得ない。科学的予防として万全を期す事には限界があるように思う。であるならば、人智として工学として、バランスを計りつつ可能な限りの処置を施し、その意図も内容も社会に理解され、ひとの被災時ニーズにも整合するように努力すべきと考える。

 私は災害報道に接すると、まず被災後の不自由な生活が思い浮かび、それとともにいろいろな思いが甦る。その因のひとつは1995年1月17日の阪神・淡路大震災との遭遇であり、ひとつは2002年12月7〜11日のグァムの台風禍による同島への缶詰めである。いずれも停電、断水、ガス供給停止、交通遮断、電話不通と、生活の手足をもぎ取られた状況となり、給排水設備と情報の重要性を身にしみて体験することとなった。
 たまたま、私がこれまで携わってきた業種は、建物内で生活している人々に安全で衛生的な空気と水を供給する、建築設備の設計・施工を生業とするものである。建物や施設のライフラインとなる設備を構築するのである。そして、災害時にもいかにその機能を維持させるか、というところで技術を発揮すべきものなのである。電気、水、空気に関わる設備が災害時においてもなお、ひとの生活をサポートできるように対処しておくという、防災技術者としての務めを、ことあるごとに強く再認識させられる。

   

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