とはいうものの、先日(2006年11月7日)の北海道佐呂間町の竜巻災害にも象徴されるように、相手は自然現象、いつどこでどのような被害をもたらすか予測が難しい。予防としていかに備えようとも、その隙間、狭間をついて災害は発生する。そしてその結果事象を捉えて、初めて対策の充実が求められる。
極論はよくないが、自然相手では防災技術の多くは臨床学的技術とならざるを得ない。科学的予防として万全を期す事には限界があるように思う。であるならば、人智として工学として、バランスを計りつつ可能な限りの処置を施し、その意図も内容も社会に理解され、ひとの被災時ニーズにも整合するように努力すべきと考える。
私は災害報道に接すると、まず被災後の不自由な生活が思い浮かび、それとともにいろいろな思いが甦る。その因のひとつは1995年1月17日の阪神・淡路大震災との遭遇であり、ひとつは2002年12月7〜11日のグァムの台風禍による同島への缶詰めである。いずれも停電、断水、ガス供給停止、交通遮断、電話不通と、生活の手足をもぎ取られた状況となり、給排水設備と情報の重要性を身にしみて体験することとなった。
たまたま、私がこれまで携わってきた業種は、建物内で生活している人々に安全で衛生的な空気と水を供給する、建築設備の設計・施工を生業とするものである。建物や施設のライフラインとなる設備を構築するのである。そして、災害時にもいかにその機能を維持させるか、というところで技術を発揮すべきものなのである。電気、水、空気に関わる設備が災害時においてもなお、ひとの生活をサポートできるように対処しておくという、防災技術者としての務めを、ことあるごとに強く再認識させられる。
|