防災特別委員会

     



 
第3回 2005年11月30日

宮原 宏(みやはらひろし)

建設部門
一級建築士、建築構造士
MCE.ミヤハラコンサルティングエンジニヤーズ主宰
 災害情報の過多と不足・自己責任
我々は日常活動では、自然災害を除き自らは災いを起さないように、また交通事故のように加害者・被害者にならないように行動している。然し予期せぬ事態が起きる可能性はあるので何らかの手立てを考えることになる。
災害の定義は「災害対策基本法」(昭和36.11.15.法律223号,最新改正平成17.7.29)第2条1項1号に、「暴風、豪雨、豪雪、洪水、高潮、地震、津波、噴火その他の異常な自然現象又は大規模な火事、もしくは爆発その他及ぼす被害の程度においてこれらに類する政令で定める原因により生じる被害をいう」となっている。
日本の災害対策は関連する法体系も整い、国土の地理的条件、気象条件、災害の原因系とその影響範囲、度合いなど基本的な事項は把握されてあり、現在の経済的財政的に負担できる程度で相当なものが整備されてあると受け止めている。それでも新たな事態が何故か発生してくる。
現実的には人間が活動する生活空間と時間を考えると複雑多岐であり万全な災害対策は不可能と思われる。特に日本列島が置かれている地球的な条件から自然災害の発生原因は多様であり、これらは人為的には制御できないからである。
島国日本の災害は歴史を重ねるたびに記録が残される。これらの事実から帰納法的な思考をすると、災害には何か規則性みたいな事態が潜在しているのではないか思えてくるがそうであれば予測が可能ではないかくと思えてくる。
天気予報は今の状況から先に起きる天気の予測である。日常的に定着していて、利用の仕方、使い勝手も心得られている。これには100年の歴史的実績、或いはお天道様のことは当たるも八卦、当たらずも八卦と割り切っている。予測が外れても責任は問わないことが暗黙に容認されている。お天気情報への依存度は自制的で日常生活に支障なく適度に対応している。自己責任が定着している。
気象観測は大気の状態を知るために、気圧、気温、風向、風速などの気象要素を測定、雲量、雲形などを観測して天気予報の根拠としている。それも時間的には当日予報、3日以内、週間、月間予報があり、きめ細かく地域限定で発表される。災害の定義のうち、暴風、豪雨、豪雪、洪水、高潮、の予測情報は確かなものがあり、それも無償で提供され役に立ちIT時代の基本的なインフラストラクチャーになっている。
自然災害の原因系で残されているのは地殻活動で起きるとされている地震と火山の噴火に絞られる。津波に関しては予測可能といえる状況である。残される問題は地震である。これには前兆現象が必ずあると考えられて演繹的な考えの下で色々なことが試みられている。地殻活動の観測が行われているが地球の大きさに比べて観測できる範囲は表層部である。観測は隔靴掻痒の感じが残る。巷には地震予測説が流布しており面白い試みなどが見られる。これらの人を占い師とはしないが何故か大地震後に自説の予兆現象を観測したと後だしジャンケン的にお告げが出てくる。これでは情報価値がないと無視することになる。
宇宙空間には未知はないと人類共通の夢とか称して人と手段には金が惜しみなく注ぎこまれているよう見える。目に見えるものには人間は寛容になる。目に見えないものは簡単には信用されない、地球の内部や表層部で今何が起きているか可視化出来ないものか。日本列島の重点地区では地表面の歪(伸び縮み)の定点観測が精度よく3次元で実施されている。その結果と地震予知は現時点では結びついていない。地震予知の努力が進められているのでその進展、成果をひたすら待つのみである。
災害の被害の予測は過去の災害から学び想定可能と考えられている。首都圏を始め地方自治体などでは、限定された地域、特定した原因の条件下でシュミレーションが多々なされている。予測であることから結果は悲観的、楽観的、その中間と幅を持っていることは仕方がない。
自分達(私、企業、公共)は、生命・財産を護るのは基本的には自己責任であると考えられている。現在日本では日常活動時に遭遇する負の事態に対して、安全・安心の為の様々なネットが用意されているが十分と言えるのか疑問がある。
自然災害に対峙するとなると、防御と援助の関係を整理しておくことは大切なことだと思っている。自分なりの考え方は、@自助(70~80%)、A互助・共助(20~10%)、B公助(10~5%)程度ではないかと目安を持っている。
@、A、Bの具体的例などこれまでに各分野から、また色々な機会で情報発信されているので知ることが出来る。
災害に関連する知識を得ようとすれば、インターネットが普及し、誰でも、何時でも、何処からでも入手が可能である。情報がたくさんあるがその内容が正しく理解されること、加えて誤用されないように義務教育を終えた人を想定した分かりやすく丁寧な解説が望まれる。
近年の報道記事で耐震不適格の物差しとして建築基準法(耐震設計関連の改正昭和55年)を基点として扱われる。これは大筋としては間違いではないが正しいとも言い難いものが残る。理由は、地震の複雑性、立地地盤の構成の不規則性、建物の形態や規模、使用材料と工法の種類、経年劣化、これらによって地震の外力としての荷重効果・建物の応答が異なり一つとして同じものはない未知数の世界である。建物は人間と同じ位に個性がある。他から何かアクションがあればリアクションは同じにならないと考えるのは自然と思われる。同時に設計、施工の場で不適格な業務は絶対にしないという職能倫理が働いている保証が求められる。
建物の耐震性能の確たる評価は実物大の実験で検証しない限り不可能と言える。現実的には工学的な判断によって割り切って対処している。現在の既存建物の耐震性能の診断法もその延長上にあり標準的な手法が確立されている。身近な問題として我が住まいの耐震性能が気になると思われる。住まいにも定期健康診断に相当する事を自己責任で実施することをお奨めしたい。有益と思われる情報が安価に入手できるので紹介しておきたい。
財団法人 日本建築防災協会 〒105-0001 東京都港区虎ノ門YHKビル8階
電話03(5512)6451、FAX03(5512)6455、HP(http://www.kenchiku-bousai.
or.jp )。発行しているリーフレット5種が有益である。その他はパンフレット1、専門書を含め38種の刊行物がある。
各地方自治体や建築士会などでも、我が家の耐震診断に関するリーフレット類があるが、その原点は?日本建築防災協会のものである。
一般の報道記事には事実を伝える役割(インフォーメーション)と公共の利益と福祉の増進に資するキャンペーンの両面があると思われるが、何か事件でないと取り上げられない。財団法人や社団法人にはそれぞれ設立の目的、社会的な役割がありそれぞれが社会的な認知の努力をしていると思われるが、マスコミの影響力にはとうていかなわない小さな存在が多い。肝心なことの情報不足となってしまう。
先日事件が起きた。建設市場でパイが減じ不況が続いている中で、親切心を装い人の不安心理に付込んで建物無料診断と称して個人宅に立ち入り、不安を連想させる事項を次々に持ち出してリホーム、耐震補強を誘導して不当に儲けた悪徳商売人のことが報じられた。今となっては被害者には気の毒であるが、我が家の健康診断は自分でできるレベルのものがある事が知られていれば、事件は未然に防げたと思われる。科学技術がいくら進んだといっても、人間生活の基本、衣食住、エネルギー、情報、遊(芸術文化・スポーツ等)は自己責任で対応している筈である。
明日のことは予測できないが社会の流れの中で孤立していると、親切心はありがたい。不安心理は平常心をかく乱する。安心、安全に関しては他者の意見に安易に乗ってしまうのか、建物の補強の前に人間の精神の脆さの補強が要る。無知が一番困る。
法治国に住む我々は民事には公安当局は不介入、契約自由の原則がある。事件にならないと社会の力は働かない。一般市民にとっては災害の中で地震が分かり難い。関東大震災時の体験者は殆どが存命していない。教訓は伝えられていたとしても、当時と比べると周辺環境の状況はかなりよくなっている筈である。互助の基本として近隣の人達と一緒に確認が必須である。それに公助の機会は逃さない。情報断絶にならないようにして、災害に関する正しい知識(情報を峻別)を取得する意思があればおのずから、自分の自律、自立、責任が明確になると思われる。
   


(社)日本技術士会  防災特別委員会  〒105−0001 東京都港区虎ノ門4丁目1番20号 田中山ビル8階