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お知らせ

第2分科会「都市再生」

第二分科会では、横浜の臨海部を中心とした都市再生の歴史及び今後の計画について、理解を深めるとともに、今後の都市再生に果たすべき技術者の役割について提言を行うことを目的として設置されました。

具体的には、3名の講演者から「人口減少下での地域創成と都市開発」「将来にわたり輝き続ける都心臨海部の形成にむけて」「三菱横浜造船所移転とみなとみらい」と題した報告がなされます。

続いて、「都市の持続的成長に果たしてきた技術者の役割とその未来像」について、講演者及びパネラーによるパネルディスカッションが行われます。

【講演者】

・政策研究大学院政策研究センター所長 森地 茂 氏
・横浜市都市整備局企画部長 小池 政則 氏
・三菱日立パワーシステムズインダストリー(株)取締役社長 牧浦 秀治 氏

【パネラー】
・日本大学理工学部教授 岸井 隆幸 氏
・株式会社アトリエ74建築都市計画研究所代表取締役 佐々木 政雄 氏

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ご講演者及びご講演内容のご紹介
講演1
○講師氏名:森地 茂 氏
○所属役職:政策研究大学院大学 政策研究センター所長
○講演題目:人口減少下での地域創成と都市開発
○アブストラクト:
人口減少により市場は縮小し、豊かさが保てないという議論が多いが、一人当たり所得は多くの生活圏で落ち込んではいない。しかし、個人消費が回復せず、特に人口減少の先行する地方部で工場のアジア移転や商業地のシャッター街化、観光地の廃屋の増加などにより、地域の将来展望を持てないことが、デフレ脱却の足を引っ張っている。これに対し、出生率の高い地方部の若年層定着を実現することをも目指して展開されている地域創成策の成否が重要である。本講演では、欧米での都市開発と、東京圏、地方中枢都市、中核都市、そして地方部における人口減少の影響の動向とから示唆される、それぞれの地域における都市再生と景気対策の在り方を論じる。
講演2
○講師氏名:小池 政則 氏
○所属役職:横浜市都市整備局企画部長
○講演題目:将来にわたり輝き続ける都心臨海部の形成にむけて
〜横浜市都心臨海部再生マスタープラン〜
○アブストラクト:
横浜市は国際港都として発展してきた。港に臨む都心臨海部には、開港以来の歴史・文化や港・水際を身近に感じる都市空間など、これまでのまちづくりで築いてきた豊富な資源がある。今後も、この都心臨海部を更に発展させていくために、これらの資源を生かしたまちづくりを進めることにより、国際ビジネス、観光・MICE、文化芸術など、新たな活力となる都市機能の強化を図っていく。また、多様なコミュニティの育成や人々の活動・交流の活性化を図り、都心臨海部ならではのライフスタイルを実現していく。
平成26年度末に「横浜市都心臨海部再生マスタープラン」を策定した。マスタープランでは、そうした2050年の都心臨海部の将来像を描き、まちづくりに関わるすべての方々と共有し、夢のあるまちづくりの実現へと取り組んでいくとしており、その具体的な方向性や考え方について述べる。
講演3
○講師氏名:牧浦 秀治 氏
○所属役職:三菱日立パワーシステムズインダストリー(株)取締役社長
○講演題目:三菱横浜造船所移転とみなとみらい
○アブストラクト:
タウンゼント・ハリスは日米修好通商条約に基づいて旧東海道沿いの神奈川の開港を求めた。安政6年(1859)、幕府は多くの日本人が外国人と接触するのを怖れ東海道から離れた神奈川の対岸、横浜に住宅や倉庫を整備し外国人がすぐにでも貿易ができるようにした。これをきっかけとして、今の中区を中心とした横浜が形成されていく。一方、神奈川を通過する東海道本線が明治20年(1887)に開通した。当初桜木町にあった横浜駅は、大正4年(1915)西区の高島交番の横に、昭和3年(1928)には現在の場所へと移転した。県庁のある中区と横浜駅がある西区の間にあるのが明治24年(1891)横浜船渠として創立した三菱重工横浜造船所で、現在のみなとみらい地区にあった。
中区と西区の横浜駅周辺を分断している造船所の移転が話題になったのは昭和42年(1975)12月のことである。三菱重工が、当時の飛鳥田市長から市の発展のために金沢への移設を持ちかけられる。その移設が実現したのが昭和58年(1983)4月。移転の経緯を明らかにする。

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電話:03-3459-1331

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