専門を離れ、興味の赴くままに伊藤 元さん原子力・放射線部門I&U法律事務所 勤務

推薦者から一言

伊藤氏は、弁護士の資格を持つ、異色の技術士である。同氏は、1992年に国立大学の理系学部を卒業後、電力会社に勤務し、2008年に技術士(原子力・放射線部門)と弁護士の資格を取得された。法律事務所設立後は民事中心に活動されているほか、防災支援委員会(2019〜2023年)での経験を活かした被災者支援活動にも取り組まれている。

原子力・放射線部会 部会長 和田隆太郎

1.エネルギー業界の技術者として

私の幼児期の記憶として、テレビで楽しくNHKの子ども番組を見ていたところ、突然画面が砂嵐になってショックを受けたことがあります。後に、これは第一次石油危機のために昼間に放送休止をしたものだと知りました。
そんな原体験の影響もあってか、私は大学で原子力工学を専攻し、卒業後も長年にわたりエネルギー業界に身を置くこととなりました。
最初に勤めた会社では、まず原子力発電所の現場で設備保守を担当し、次に東京で新規発電所の基本設計を担当しました。といっても、発電所を止めないといけないような大きなトラブルが起きると、すぐにトラブル対応班に駆り出され、徹夜で原因究明と再発防止策をまとめ上げる作業に携わることが度々ありました。
この時に身につけた調査・報告スキルが、後々別の形で役に立つことになります。

原子力発電所勤務時代

2.技術士との出会い

私が入社7年目に経験したトラブルは、少し毛色が異なるもので、使用済燃料輸送容器の品質管理記録に改ざんの疑いがあったため、実態を調査するというものでした。
当初は「記録が間違っていても、実態としてちゃんと性能を満たすものなら大した問題ではないだろう」と高をくくっていたのですが、実態調査と原因究明を進めるうちに大問題へと発展していき、最終的には記録改ざん者の所属する会社が解散するところまで追い込まれることとなりました。有名な建築構造計算書偽装事件が起きる7年前、1998年のことです。
この時、再発防止策の検討をお願いした外部専門家の一人が、技術士の杉本泰治先生です。当時、恥ずかしながら私は技術士の存在を全く知りませんでしたが、杉本先生の技術者倫理に対する造詣の深さに感じいった次第です。

3.技術士資格の取得、そして活用へ

エネルギー業界では、2002年に東京電力の原子力発電所定期検査記録改ざんが明るみになった後、2006年には水力発電所や火力発電所でも検査データの不適切処理や法令手続き漏れが露見して、全国全ての発電所で過去の記録を総ざらいする「発電設備総点検」が行われました。また再発防止策として、2007年には電力設備の保安規程で「関係法令、保安規程遵守の体制構築」について定めることが義務づけられました。
一方、私はその頃は家庭の事情で離職しており、再就職に向けて新たな資格取得を目指していました。2008年には弁護士資格と共に、当時できて間もない技術士(原子力・放射線部門)の資格を得ることができました。
2009年には無事再就職を果たし、コンプライアンス推進を担当する役職に就きました。まだコンプライアンスという言葉が市民権を得ていない中、全国の電力設備の現場を回って技術系社員への倫理研修を行いましたが、受講者目線での説得力ある研修を行うために、技術士であることが役に立ったことはいうまでもありません。
また不幸にしてコンプライアンス事案が生じた時は原因究明や再発防止策策定に関与しましたが、その際には前職でトラブルの際に身につけたスキルが期せずして役立つこととなりました。

4.日本技術士会での活動

2009年に日本技術士会に入会し、すぐに原子力・放射線部会の幹事となりましたが、当初は会社の業務都合で殆ど活動できませんでした。2011年には東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故が発生しましたが、やはり当会の活動までは手が回らない状態が続きました。
事故から半年ほど経ったある日、部会のメーリングリストで「明日、除染について被災者に説明できる人がいないか」という問いかけがありました。原子力業界の者が福島から避難してきた被災者と向き合うことには躊躇を覚えましたが、「これは汚染区域内での除染作業経験がある自分にしかできないこと」と覚悟を決め、被災者への除染に関する説明や相談対応をすることとなりました。
相談対応をする中で、「相談に来る人は技術的助言を求めているのではなく、自分の話をただ聞いて欲しいのだ」ということが良く分かり、以来、自分の専門に拘らず、とにかく被災者の話を傾聴する活動を続けました。また、原子力・放射線部会では、被災者相談対応の経験を基にしたリスクコミュニケーション研修を定期的に行いました。

2019年には会社を退職し、フリーランスとなったため、時間の融通が利くようになりました。そこで、当会の防災支援委員会に所属し、子ども向けの防災イベントでクイズやワークショップを運営するといった、平時の防災支援活動に携わるようになりました。途中、コロナ禍の中で思うような活動ができない時期もありましたが、その間も各部会や各地域本部の委員との交流を重ね、更には他の士業団体とも「災害復興」を旗印にして協力関係を築いていきました。
このような当会での活動では、自然災害や復興まちづくりに関する知見を得ることができ、自分自身の仕事の幅を広げることにもつながりました。当会にいなければ得られない、貴重な機会をいただけたと感じています。

子ども向け防災イベントの様子

5.専門を離れ、興味の赴くままに

ここまで長々と私の経験談にお付き合いをいただき、ありがとうございました。
私は、一つの専門を極める生き方はできませんでした。ただ、これまで自分の興味と取り巻く環境に応じて守備範囲を広げられたことには大変満足しています。そして、技術士という資格が自分の守備範囲を広げることに大いに役立ったことに、あらためて感謝したいと思います。

プロフィール
  • 1992年 日本原子力発電(株)
  • 2009年 電源開発(株)
  • 2019年 I&U法律事務所
資格
  • 弁護士、原子炉主任技術者
勤務先
  • I&U法律事務所
趣味
  • テニス、サイクリング、競輪観戦、断捨離

(本記事は、月刊「技術士」2024年6月号掲載の『活躍する技術士』を基にしました。活躍する技術士の現在の業務や推薦者の肩書は、掲載号当時のものです。)

メニューを閉じる