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金属部会

2006年(H18)1月から6月例会講演アーカイブス

所属は講演当時で示してあります。

2006年1月25日

新年会
場所:ニューオータニイン東京 4階「ももきりの間」
出席者(敬称略):
ご来賓:都丸徳治会長、竹下功専務理事、畠山正樹常務理事、ソプラノ歌手加藤江美女史、ピヤニスト法領田れい子女史
化学部会(北本達治部会長、植村勝評議員)、金属部会(吉武名誉会長以下22名)
以上 合計30名
(概要)
二期会加藤江美女史のソプラノ歌唱に続いて、昨年の物故者(飯田堅太郎氏、間瀬一夫氏、稲垣道夫氏、宮嶋信雄氏)に黙祷を捧げた後、懇親会を開催。部会長の挨拶に続いて、来賓のご挨拶を戴いた。
 都丸徳治会長からは、技術者の信頼を高めるため「技術士」の質の向上と知名度を高め、世の中に役立つ「日本技術士会」にするためには倫理観と継続研鑽が重要性であると述べられた。竹下功専務理事からは5年前の法改正後の受験者数の増加を受けて試験合格率のアンバランスや試験問題の改善及び入会者の拡大が課題であり、協力を要請された。畠山正樹常務理事からは金属部会開催の講演会などに参加、昨年11月にはトヨタ自動車、香嵐渓の見学会に同行、金属部会員との懇親など大変有意義に過ごし、今後も会員皆様方との人的交流を重視したいとのお話を伺った。
 吉武進也名誉金属部会長による乾杯の音頭に続いて、宴会を開始。始めに加藤女史が技術士にぴったりの歌として「地上の星」を選曲し法領田女史の伴奏により歌い、続いて都丸会長と加藤女史のデュエットで「琵琶湖就航の歌」を素晴らしい声で歌い上げた。遠い大雪の福井市から今年もご出席された海崎様がご自身で持参した「LA TRAVIATA(椿姫)」 第2幕「乾杯の歌」より、をイタリア語で加藤女史は片手にワインカップを持ち踊りながら海崎様とデュエットで歌い上げ、引き続き、青年時代の思い出の歌「四季の歌」「若者達」「ヘッドライト・テールライト」などが歌われた。
 ここで恒例の出席者の近況報告に移り、各自の現状や経歴などに続き今年度の抱負・決意表明、またそれぞれの率直な考えなど思い思いのお話が披露され大変に盛り上がった新年会となった。
 神戸副会長の閉会の挨拶と継続研鑽に必要な研究会、講演会の案内として「第16回情報・マルチメディア研究会 例会」「第12回環境・安全・品質マネジメント研究会 例会」「中小企業に対する各種支援事業について」「新素材の開発と利用の動向」などの紹介があった。
 最後に奥村評議員の(社)日本技術士会と金属部会の発展と出席者の健康を祈念して、力強い3本締めの音頭により全員の手拍子にり新年会を締めた。

参加者による集合写真(拡大画像へのリンク)

参加者による集合写真

(画像クリックで拡大 23KB)

2006年2月15日

テーマ:〜技術士自営への道〜「ビジネスマッチング裏話」
講 師:名取達雄氏(名取技術士事務所)
(概要)
 講師は日立製作所機械研究所で鋳造・金属材料・金属加工・表面処理・圧縮機の開発、独立法人産業技術研究所で半導体の開発など担当し、退職後の平成15年5月に名取技術士事務所を設立した。
 今回の講演はご自身の退職直後から現在に至るまでの過程において、技術士事務所を設立した後の苦労話と、現在日本を底辺で支えている中小企業及びベンチャー企業が、新開発技術・新製品の売れ行きが良くないため大変に苦労している状況から、これら中小企業をビジネスマッチングの面で支援し、産業界の役に立つにはどうしたら良いのか、これまでの努力の経過、体験、感想を述べ、皆様のご意見をお聞きしたい。
 技術士資格を何とか取りたいと願って挑戦し、在職中、日立の合格発表会ではいつも合格側にいなかった。同僚30人ほどの熱心な応援を受けたが、定年まで合格できずに失意の退職となった。定年後、産業技術総合研究所に採用され、SiCの製造研究に関っていた。その時期に挑戦し金属部門に合格した。その嬉さと、技術士の資格が得られたことで、産総研を退職してしまったことが失敗だった。早速、駅前に事務所をオープンし仕事をしようとしたが閑古鳥が鳴いた。毎日が不安と焦燥の日々を過した。仕方がないので、以前経験した塾の講師や、護身術の稽古までして警備員の仕事、信楽焼の陶器の売り子まで経験した。あるとき講演会の会場で技術評価会社の社長と邂逅した。それを契機にこの会社に採用され、技術評価の仕事を担当することになった。助成金交付の企業を訪問し、試作品は完成したが商品としては未完成のために売れないと悩む多くの中小企業の社長を支援してきた。
 商品が売れない理由は幾つかあるが、特に社長の意見に反対できないためである。マッチングの未来は「薔薇色」だが、現在は「棘の道」である。そして多くの場合失敗してきた。マッチングの失敗例として、開発商品を社長始め5名で、ある大手企業に商品売り込みに行ったが、相手の部長が途中で携帯に出たことに腹を立てた社長が帰ってしまい、商売が出来なくなった。それでもこの社長は全く反省がない。マッチングの成功例は少ないが、ある会社の現場の工場長は非常に無愛想で、何回行っても取り合ってくれなかったが、何回も通う内に酒好きなことなどがわかり、飲んだ後、話をしてビックな商談に成功した。この時もリップサービスで余分なことは言わないことである。この成功例はニーズ調査から、長期の活動によって積み上げ、現場を100遍見て思い詰めずに根気良く行うことで成功した例である。中小企業経営者は後継者問題で悩んでいる。マッチングを成功させるのは豊富な人脈が重要であるが、知り合いに持っていく時は注意が必要で、失敗するとこれまでの関係が途切れる。従って、未知の人との遭遇を楽しみ、新しいパイプを作ること。自分の体験から、1に「行動」、2に「根気」、3に「忘却」が大切である。アクティブに働けばチャンスにめぐり合う。今後も「一隅を照らす」気持ちでマッチングの道を歩んで行きたい。

2006年3月22日

テーマ:世界の鉄鉱石資源と利用技術
講 師:稲角忠宏氏(稲角技術士事務所:東京大学総合研究博物館・事業協力者)
(概要)
 講師は稲角技術士事務所を開設東京大学総合研究博物館研究・事業協力者、環境資源工学会監事、鉄連原料規格三者委員会委員協材興業(株)特別顧問等をしている。
 新日鐵・高炉部門高炉原料分野で研究、技術開発、工程試験・品質管理、工場長職や所内発生物循環利用技術の開発等の業務を30年にわたり担当した後、退職後に全高炉ミル団体の海外製鉄原料委員会において事務局長として、世界の資源調査業務8年を経験、原料の利用と供給の両面に立場を変えてみる機会を得た。今回はその調査結果を東大博物館に寄付したところ、それをボランティアベースで整理を依頼された内容を紹介する。
 鉄鉱石資源は一般に非鉄金属鉱石資源に比して格段に量が豊富で、かつ高品位で大規模な鉱床が存在するという特長がある。これら世界にひろがる鉄鉱石の多種多様なさまや品位差・性状差、量・質偏在の地質学的所以など世界各地の資源事情のちがいを地政学的に整理した。そして、過去の鉄鋼生産拡大過程において、このような地域によって異なる鉄鉱石がどのように使われてきたか、変化の過程を歴史的に検討してみた。欧州で人類は始めて産業革命とともに近代的な鉄鋼量産技術を確立したが、その後アメリカが欧州を凌駕して20世紀前半に世界の主産国となって生産を伸ばし、さらに第二次世界大戦後は資源小国日本が欧米に対抗できる画期的鉄鋼生産スタイルを確立し、それが現代世界主流の鉄鋼生産方式となって20世紀後半の鉄鋼生産伸長を可能としてきた。それら各時期の生産飛躍は、古代のルッペ直接製鉄法から溶銑・溶鋼の間接法への鋼多量生産方式に至る一連のプロセス革新によって可能となってきたのである。
 実は、原料の観点からその変化を追うと、その革新は、量的には豊富にあるが、各技術開発時点までその利用が難しいとされた原料の活用を可能とした事例が多い。資源小国日本が国際競争力をもてた一因もその事例のひとつで、従来の鉄鉱石のキャプテイヴ・マイン供給方式とは異なる、グローバルな貿易鉱石供給ソースを開発・確立しつつ、それまで充分に利用されてなかった粉鉱の完全活用を可能とし、かつ高炉操業を改善する自溶性焼結鉱技術の実用化と、その多量使用可能な高炉操業を確立したことにある。これら日本と欧米の歴史的事例をいくつか紹介した。なお、これらの解析結果からみると、今の中国の生産拡大は過去の典型的事例とは性格が異なる変革である。
 「原料を大切に考え、効率的に資源を無駄なく生かしてきた」日本の風土・伝統と創意工夫力が、今後の地球資源問題解決に必要ではないかと考えている。

2006年4月19日

テーマ:サハリンの原油タンク
講 師:笹口裕昭氏(笹口技術士事務所)
(概要)
 講師は笹口技術士事務所を開設しLNG、LPG、原油等各種貯槽タンクの設計,施工計画・管理を中心に国内、海外プロジェクトのエンジニアリングを専門にご活躍されています。サハリンプロジェクトIIには2003年当初から参画し、石油大型タンク製造のため、極寒の地であるサハリンに駐在しプラント施工の技術指導及び監理を行ってきました。
 一次エネルギー供給は、嘗ては石油があと数十年で枯渇するという危機感があったが、今は原油や天然ガスの採掘技術が向上し、世界の確認埋蔵量も増えている。現在はカスピ海、ベトナム、サハリン、シベリアなどが注目されている。
 サハリンIIは島内を縦断してパイプラインで原油と天然ガスを輸出基地まで運び、タンカーで搬出ができる。しかし、このパイプラインは鮭や鱒の遡上する多くの川をまたがり、また現在100頭余りしか生息していないといわれているコククジラのいる海で油やガスを採掘しており、開発をして良いのか?と、自問自答しながら監理業務をしてきた。
 今回担当した原油タンクは直径94m×高さ18mの十万KL、ダブルデッキの大型タンクである。このタンクはサハリンの輸出基地に設置するもので、2004年10月から底板の溶接作業を始めた。冬季、マイナス20℃は当たり前の地であり、溶接後の検査も底板を予熱して真空箱検査を行った。底板と側板は並行して作業が行われるが、側板の付属品やR曲げは工場で加工してから現場に搬入される。現場の溶接は全て風雪対策用の溶接ケージ内で行なっている。
 側板は一段が3mの高さで6段を積んで終了する。組立終了後は水を張り、浮屋根(ポンツーン)が少しずつ浮き上がる。こうして大型原油タンク2基が完成し役割を終了した。
 講師は業務の話以外にサハリンの歴史にも触れられた。日本は豊臣秀吉の時代から樺太と交流があり、間宮林蔵の探検の後、交流が盛んになった。1855年の日露和親条約により、日露両国の所有となった。1875年樺太、千島交換条約で樺太はロシアに、千島は日本となった。1905年ポーツマス条約で樺太の北緯50°以南が日本領土となった。1920年ロシア革命、日本軍がそれに乗じて樺太に侵攻、自治州を設立。1925年日ソ基本条約、1941年日ソ中立条約、1945年8月8日ソ連は日ソ中立条約を破り参戦、1945年8月22日ソ停戦条約(ポツダム宣言後)の後、日本人の引き上げが始まった。1951年サンフランシスコ平和条約、ここで日本は樺太の領有権を放棄し、以後サハリンは外国人立ち入り禁止となる。1989年ペレストロイカによって、外国人立ち入り禁止区間が開放された。
 また、現在のサハリン、コルサコフ(大泊)の市内で日本統治時代の名残としては、拓殖銀行の建物が唯一残されている。またコルサコフ博物館の館長の案内で、旧大泊中学校跡地に「奉安殿」を発見することができた。
 技術的なお話に加えて、歴史に関する興味をかきたてる話題で、特に当日出席された渡辺孫也氏が旧樺太のお生まれだという紹介もあり、大いに盛り上がった。

2006年5月17日

テーマ:金属射出成型法によるものつくり
講 師:神藤典一氏(神藤技術士事務所)
(概要)
 講師は工業用ミシンメーカーのJUKI(株)に33年間勤務、その間、調布の研究所で研究開発業務を行い、1972年、今から35年前に専門科目は表面処理技術で技術士に合格した。精密機械メーカという立場から金属・非金属材料・処理以外の機械要素や機械の信頼性設計などに取り組んできた。本講演では粉末冶金法の一つであり、最近かなり実用化が進み、高密度で機械構造部品に使用可能な金属射出成形法(MIM法)について取り上げた。
 金属射出成形法は粉末冶金で不可能と言われた3次元形状の高精度、高密度の金属部品を大量生産可能にした。この原理はM.A.strivensの米国特許に始まるが、実用化が確立したのはR.E.Wiechの米国特許による。日本には約20年前に伝えられ、実際の量産は10年ほど前からである。これにより金属やセラミックスの新しい機能材料が安価で容易に生産できるようになった。しかし、実生産ではMIM生産各社は特許問題を抱えながらも、粉末の性状やバインダーの種類、配合比率、混錬方法、収縮率を見込んだ金型設計、射出条件、バインダーの脱脂条件、焼結法など条件を探りながら生産体制の確立に取組んでいる。
 MIM製造法の基本は、球形の微細金属粉末を如何に製造するかである。微細金属粉末製造法の中で、ガスアトマイズ法では真球に近い、平均粒径5〜10μmの球形粉が得られる。この粉末を熱可塑性樹脂とパラフィンワックスなどと混練する。そして混錬によって得られる粘性のある餅状の混錬物を、造粒装置で3×3mmのペレット(粉砕の場合もある)にして25〜200トン成形機にて射出成形する。成形機は一般のプラスチックス射出成形機に耐摩耗対策を行った上で使用する。成形したものは、グリーンパーツと呼ばれて次の脱脂工程に進む。成形後の材料(グリーンパーツ)を脱脂する方法は、様々な方法があるが、一般的には加熱或いは加熱加圧脱脂法で行う。その他、溶剤脱脂法等を用いる。講師が考案設計した溶剤脱脂装置は、完全クローズドシステムで、安全で自動処理が容易であり、かつ大量処理が可能である。この工程で殆どのワックスが除去される。脱脂後の焼結過程で、残存しているポリマーが蒸気となって除去される。脱脂のトラブルには、変形、ボイド、引け、クラックや表面ブリスター等があるが、一番問題なのは、焼結工程でバインダーが残留すると炭化し、材料に吸収されて含有炭素量が上昇することである。これにより融点が下がるために溶解現象がおき、蒸散した金属蒸気が炉内を汚染するなどの問題を生じる。含有炭素量をコントロールするには、平均粒径の異なる数種類の粉末を混ぜ合わせる。この結果、SUS316Lの場合では、炭素量を0.03%以下にコントロール出来るようになった。そのために焼結温度のアップが可能となり、相対密度99.13%(現在は99.89%まで可能)が得られ、衝撃値も溶製材と同等レベルになった。この物をイオン窒化した所、表面に明確な白層が生じ、表面硬さもHV1000が得られた。現在この製造法によって、工業用ミシンの精密部品や自動車エンジン部品等の大幅なコストダウンが図られている。

2006年6月21日

テーマ:鉱山・金属精錬における企業の社会的責任(CSR)について
講 師:山本道晴氏(新日鉱ホールディング株式会社)
(概要)
 講師は、日鉱金属(旧日本鉱業)に入社以来、銅合金の材料開発、溶解・鋳造、焼鈍、圧延等の生産技術の開発に従事した。2002年よりNEDO技術開発機構に出向、ナノテクノロジー関連した国家プロジェクトを推進した。2005年より日鉱金属にて非鉄メジャーと鉱山・金属製錬における持続可能な開発に関する進め方の協議に参加するとともに、社内ではCSR推進委員の事務局に従事。更に、新日鉱ホールディングスにて環境・リサイクル技術の開発を担当している。
 近年、海外では鉱山・金属製錬会社を中心に持続可能な社会の実現に向けて、「生物多様性の問題」「原住民対応」「資源の有効利用」などの課題に取り組んできており、また国内でも多くの企業不祥事の反省等からCSR(企業の社会的責任)に取り組みも活発化してきている。そこで、[1]日本の金属資源事情及び鉱山のリスク事例により現状を把握し、[2]持続可能な発展及び、[3]CSR及び会社でのCSR活動状況を紹介する。
 金属資源である銅、亜鉛、ニッケル、マンガンは日本で多く使用されているが、その全てが輸入でまかなわれている。企業が鉱山業を続け、国が鉱山業を必要とする理由は、金属製錬までの利潤の大部分が川上の採掘、採取の部分であり、素材の安定供給が必要なためである。一方、環境や地域住民の生活に大きく影響を与える。例えば、Newmont社(米産金会社)は、尾鉱処理を海底投棄の認可深さより浅い地点に放流していたため、地域住民に多大な健康被害、漁業被害が発生した。
 持続可能な発展とは、「現世代のニーズを満たしながらも、将来世代がそのニーズを満たす可能性を脅かさない」と定義されている。地球規模での環境保全に関する世界の動きとして、1972年ローマクラブが「成長の限界」を発表、資源枯渇や環境悪化の警告し、1987年国連のブルントブラント委員会の最終報告「我ら共通の未来」の中で「持続可能な発展」を中心概念と位置付けた。また、2001年には、非鉄メジャーが中心となって、国際金属・鉱業評議会(ICMM)を設置し、持続可能な発展のため、鉱山における資金の流れの透明性、ライフサイクル分析やリスク評価、先住民対応及び地域住民とのコミュニケーション、土地利用計画、生物多様性保護等の諸課題に取り組んでいる。
 日鉱金属がCSRに取り組む理由は、鉱業・非鉄製錬を取り巻く情勢、社会の関心の高まり、こうした状況を踏まえて、経営陣のCSR活動への取り組みの強い意志が働いたためである。日鉱金属では、2002年から環境報告書を発行しているが、2005年度からCSR推進委員会を設置し、具体的な活動はその下部組織であるコンプライアンス及び持続可能性報告ワーキンググループにて、行動規範等コンプライアンスの再整理、利害関係者とのコミュニケーションを高揚させる等の活動方針を立て、報告書を作成することによって課題を抽出することにしている。なお、今後の課題は、継続した活動を推進すること及びそのシステムを構築することである。

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