ナビゲーションを飛ばしてコンテンツへ
  • 建設部会のホーム
  • 地域本部・県支部・部会・委員会
  • 公益社団法人日本技術士会
  • RSSについて
建設部会

平成26年7月 建設部会講演会報告

日時  :平成26年7月16日(水) 18:00〜19:30
講演名 :新幹線の構造物の技術の変遷
講演者 :石橋 忠良氏 ジェイアール東日本コンサルタンツ(株) 取締役会長
講演場所:公益社団法人 日本技術士会 A,B会議室
(東京都港区虎ノ門4-1-21葺手第2ビル5階)
参加者 :72名(会員66名、非会員6名)
     総括本部 30名(会員25名、非会員5名)
     中国本部 15名(会員15名、非会員0名)
     北陸本部名 6(会員6名、非会員0名)
     近畿本部名 7(会員6名、非会員1名)
     四国本部名 6(会員6名、非会員0名)
     九州本部名 8(会員8名、非会員0名)
   (今回の講演会はWEB会議方式で行い、総括本部のほか5地域本部が参加した)

1.はじめに
 1964年に東京オリンピックが開催され、それにあわせて東海道新幹線が開通した。2020年には東京オリンピック・パラリンピックが予定され、新幹線も山陽、東北、上越、九州等が開業し、さらに北陸新幹線が開業しようとしている。その新幹線構造物技術の変遷を振り返り、技術の発展の流れを講演していただいた。

2.講演内容
 最初に東海道新幹線、東京〜新大阪間が1959年着工し1964年に開通した。用地は戦前の弾丸列車計画用地約20%が活用され、わずか5年で完成した。構造は盛土が多用された。施工ではブルドーザ等による機械施工が採用されたが、施工管理手法が現場で浸透せず、盛土の沈下等の問題が生じた。高架橋及び橋梁では、標準設計を活用して寸法を定型化することにより、工期短縮に大きな効果をもたらした。長大橋には鋼桁が採用され、現場接合は従来のリベットに代わりボルト接合が一般的となった。
 次に山陽新幹線、新大阪〜岡山間が1967年に着工し1972年に開通した。メンテナンスフリーと騒音・振動の低減が主眼とされた。土構造からRC高架橋へと構造が変わり、コンクリートの打設がバケットからコンクリートポンプ車へと変わった。橋梁は鋼桁からPC桁へと変わり、ダンパー式ストッパーの採用でPC長大橋が可能となった。
 山陽新幹線、岡山〜博多間は1967年に着工し1975年に開通した。構造ではスラブ軌道が本格採用された。RC高架橋はスラブ軌道の採用により、張出し形式からゲルバー形式、背割れ形式になった。また、5km以上のトンネルが13か所と長大トンネルが多く造られた。トンネル内のスラブ軌道下からは路盤噴泥が発生し軌道変状が生じた。長大橋梁ではPC桁が採用された。
 東北新幹線、大宮〜盛岡間、上越新幹線、大宮〜新潟間は1971年に着工し1982年に開通した。騒音・振動対策として一部の区間の高欄を逆L型とし、都市部には桁式高1986年に着工し1991年に開通した。都市部なので橋梁や高架橋が多い構造となった。構造体にはPRC構造や外ケーブルが採用されたことにより、桁のそりを除くことができた。また、トンネルではシールド工法が採用された。
 その後の新幹線では、トンネルはNATM工法が採用され、地山と覆工の密着が図られた。兵庫県南部地震以降は設計地震動が増加され、耐震性能が大幅に向上した。また、長大橋もPRC桁が採用されている。
 新幹線では騒音・振動等環境問題が大きく影響しており、その対策に苦労していることが報告された。

3.おわりに
 新幹線では、高速走行を実現するため平坦性の確保が重要であり、構造物においても様々な工夫がなされてきたことが興味深かった。架橋を適用した。雪害・寒冷地対策として、東北新幹線では貯雪式構造物を、上越新幹線では散水消雪設備を設置した。また、トンネル内噴泥対策としてスラブ軌道下にインバートを設置した。
 東北新幹線、上野〜大宮間は1972年に着工し1985年に開通した。上野〜東京間は
 このように技術業務では常に創意工夫が必要であり、我々技術士も不断の自己研鑽が求められることを改めて感じた。

講演担当:竹中、垣本、宮下、榎本(文責)
       

講演会会場風景(拡大画像へのリンク)

講演会 会場風景

(画像クリックで拡大 38KB)

このページのお問い合わせ:建設部会

ページトップへ