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原子力・放射線部会

311を迎えての過去の部会長メッセージ(2016〜2019)

 福島復興支援に関する部会長からの過去のメッセージを掲示します。

部会長佐々木聡(拡大画像へのリンク)

(画像クリックで拡大 125KB)

『思いの格差をどう是正するか?』

 東日本大震災の発生から、本日で9年目となりました。先ずは、東電福島第一原発事故とその影響の拡大により故郷を離れることを余儀なくされ、大きな犠牲を払われた全ての人々に対し、関係者を代表して深謝いたします。

 私ども日本技術士会 原子力・放射線部会は実に様々な背景を持つ会員により構成されています。そのため、震災直後から、社会に発信するための総意の取りまとめに苦慮する中で、部会長個人名による思いを記すことで始めたのがこの311メッセージで、今回で6回目、私自身も4回目、そして私にとり最後のメッセージとなります。

 私も毎年多くの文章を記しますが、このメッセージは特別なものです。業界の技術的情報だけでなく、常日頃から福島の情報や生の声を傾聴し、思いを書き溜めることが習慣となりました。原子力関係者として、福島に縁故あるものとして、言葉を編むという行為が、自らの過去・現在・未来に対する反省と責任を自覚するであろうことも確信しました。そこで、私の最後の試みとして、部会幹事37名全員に思いを綴って頂きたいと願い、「技術士として福島復興に寄せる想い」と題した手記を募集し、今回、とりまとめました。

 原発事故とその社会的影響の拡大への痛恨の思いが、関係者全員に共有されたことは事実だと信じます。しかし、事故の収束や福島支援への関与の度合いにより生じた「思いの格差」が、個人の環境と日々の業務や生活の中で拡大したことも事実です。実際、幹事からの手記の総数は19件(2019/3/11現在)で半数に届かず(現在編纂途上です)、「福島復興に寄せる想い」の題意との関連の薄い手記もあります。一方で自主的投稿者の手記もあります。この振れ幅も示すことこそ、真の信頼への一歩と思い、皆様に提示することと致しました。

 当時、「想定外」という言葉への批判に対し、想定外の本意を分類し、「想定外を想定する」という教訓も広がりました。このことを真摯に実践し日々努力している我々の関係者は多数存在します。想像力を発揮するには、思いを保ち、学びを続け、考えることを続けるしかありません。それを技術的分野・自らの業務分野に留めていたのでは不十分です。福島の人々へ、そして社会に対して実践することを関係者誰もが行う集団とならない限り、私は、論理的説明だけで原子力が真に社会から認知されることはないと思います。

 思いを継承し、反省を踏まえ、危機感を失わず、今だからこそ整備しておかねばならない行為へと移すためにはどうすべきか?危機感を人々と共有し参加してもらうにはどうすべきか?それは原子力・放射線業界だけでなく、災害の多発する日本の様々な拠点の様々な人々が努力していることです。そして阪神淡路大震災の教訓からも、世代を超え長い期間、継続的に観察し支援していかねばならないことも示されており、その教訓が生かされた事例も沢山あります。それはリスクを考える行為、互いを思いやる行為へと必ずつながるはずです。

 私達関係者にも振れ幅はありますが、そういった姿勢の専門家が皆様の身近に現れてくれるかどうか?どうか、冷静な目で観察し続けてください。そのためには、私どもが福島のことを決して忘れないと誓うように、皆様方も原子力や放射線に関することに関心を持ち続けて下さい。もちろん批判的な目で構いません。関心を持ち続けて頂ければ、時に皆様方の知識を更新する機会は必ず現れますし、いざという時に冷静な選択を行う知恵となり、皆様方自身の身と大切な人を助けるはずです。社会としての成長を共に達成させましょう。

平成31年3月11日
原子力・放射線部会
部会長 佐々木 聡

『思い続けるということは、 』

 『あなたの思う福島はどんな福島ですか?』 を目にしたことがありますか?
 震災から6年目を迎えた2016年の翌3月12日に福島県が記した新聞広告です。 『イメージの復興』 への思いを、たった472文字で表しました。 『イメージ通りの福島』 を探すのではなく、『ありのままの福島を見て』 と。8年目を迎えた今、世の中は変わったでしょうか?

 福島は、殆どの場所で日常の生活を送っています。もちろん、放射線被ばくへの不安と向き合いながらの生活はありますし、風評被害の影響は今なお続いています。相双地区では多くの住民が避難し、その影響は深く残り、帰村・帰町した住民も極僅かです。それでも、帰還困難区域は福島県全体の面積の2.7%にまで縮小し、大きな資本投下で動きだしています。これは当時の事故の影響の矮小化ではなく現実です。
 本当は、お米の全袋検査はもはや必要なく、道の駅で買う野菜は安全で、流通には出回りませんが釣った魚も安心して美味しく食せます。普通の水と同じ挙動をするトリチウムだけが残った汚染水は、本当は貯めずに希釈して海に流しても問題ないことも分かっています*)。でも、福島以外の人々の固定化されたイメージが前進を阻みます。
 私たちは公益確保を旨とする技術士です。原子力関係者として反省が足りないとの非難を恐れずに、技術士として言わせて頂ければ、『イメージ通りであって欲しい福島』や『深刻であって欲しい汚染』、 『危険であって欲しい原子力』 に基づく情報があまりにも繰り返されています。いったい誰のために?でしょうか。

 私共では、福島の事故を振り返るために、毎年3月に『住民目線のリスク・コミュニケーション』という討論型の勉強会を開催しています。そこでは、常に、福島での直接の支援経験や、生の声を聞いたことが無いという意見を耳にしますが、そんな時、私は福島の人々の声は聴こうとすれば満ち溢れていることを伝えます。『福島復興ステーション』、 『福島民報』、 『福島民友』 から福島の状況や人々の関心を追うことは可能です。『福島をずっと見ているTV』 や数々の動画を眺めれば、人々の思いも直接見聞きできます。すると、福島で生活する人々の関心は様々なこと、生活も様々なこと、知識も様々なこと、過去の選択を否定できない思いも良くわかるはずです。
 私は、もはや福島の人々への専門家による一律の情報提供は不要と考えます。『放射線への不安』を口にしなくても済むように、福島の人々にただ関心を寄せ続け、引き出しを増やし、個別の課題で本当に困った時に相談して頂けるように、「片思い」をし続ける努力をすること こそが大切だと思います。
 一方で、福島のことを考え続ければ、自らの落ち度にも、福島県外の人々の認識の乖離にはただ寡黙に対応しても変わらないことにも気づくはずです。そんな時には、『放射線への不安』だけでなく、『ありのままの福島』に関心を持って頂けるように、自らの言葉でさりげなく導いて欲しいのです。そして、差別につながる誤った知識に遭遇した時は、きっぱりと言い切って欲しい。例えば、「福島の子どもたちへの遺伝的影響はないよ」と。

 福島の子どもたちは無用な被ばくを避ける術を身に着け、震災と原発事故の体験を乗り越え、しっかりと未来に向けて成長しています。
 昨年、私たちはスーパーサイエンスハイスクール(SSH)の指定を受けた県立福島高校の生徒さんをお呼びし、全体会議(総会)の特別講演会でその研究活動と未来への素晴らしい思いを語って頂きました。2015年にスーパーグローバルハイスクール(SGH)の指定も受けて開校した、ふたば未来学園高校は、自らを変革し、地域を変革し、社会を変革する「変革者たれ」との建学の精神を掲げ、今年初めての卒業生を世に送り出しました。今年4月からは7年ぶりに、飯舘村、葛尾村、川俣町、富岡町、浪江町で学校も再開されます。残るは大人たちです。

 私事ですが、私の母校の校訓は「第三教育」でした。第一の教育は親が教える教育、第二の教育は教師が教える教育、そして第三の教育が、自分が自分に教える教育です。40年が経過しても、技術士としての継続研鑽につながり、しっかりと刷り込まれています。ふたば未来学園高校は、変革の理念として「自立」「協働」「創造」を挙げ、それを校訓としたそうです。卒業生には、きっと生涯刻み込まれるでしょう。そして、福島から日本が再生することを信じてやみません。

平成30年3月11日
原子力・放射線部会
部会長 佐々木 聡

*)その後、H3以外の告示濃度制限値を超える他の放射性核種が存在することが明らかになりました。情報は公開されていたとのことですが、私どもも表面上の議論のみを注視し一次情報の確認を怠りました。申し訳ございません。

『福島の今を学ぶ理由を人々に伝えよう』

 東京電力福島第一原子力発電所の事故から7年目を迎えました。今年、節目の時に紹介された話題は、生業、地域、心の再生等の前向きのものが多かったように思われます。ただ、福島の話題は、着実な復興への歩みを伝える一方で、避難指示解除に伴う避難者と自治体の苦悩と、避難者へのいじめの問題が注目されました。しかし、今年は問題提起に留まらず、風評被害に立ち向かう若い人々の活動とともに、食品検査体制や、被ばくや汚染の実態も紹介されました。いじめや風評被害の本質が、震災直後で止まった福島のイメージと、賠償金へのイメージにあることにまで踏み込んだ報道もありました。一歩も二歩も前進した感を持つ一方で、マイナスからの努力を強いられる福島の人々に対して、改めて、申し訳ない思いを感じました。

 賠償金は、非常にデリケートな話題です。震災の記憶が鮮烈な頃は、一部の避難者による賠償金の使途が取り沙汰されても、それほど注目はされませんでした。しかし、注目して欲しい福島への関心が薄れる中で、賠償金の多寡だけが繰り返し報道されました。同じ県内での賠償金の多寡、同じ避難区域での避難区分の変更による多寡、避難者が急増した地域における医療や住居等に関する元々の住民との軋轢、集団訴訟、原子力損害賠償紛争審査会における支給総額情報までが注目されて、webや週刊誌を介してステレオタイプのイメージが広がりました。
 しかし、考えてみて下さい。苦渋の決断で移住を決意し避難先に新居を建てたような方々は、例えば先祖伝来の土地に数世代で暮らしていたような人々です。長年地元で築き上げてきた生業や地域のコミュニティを失った無念、先祖伝来の土地や家屋にいつ戻れるとも知れない喪失感。家族を抱え、もしくはバラバラになり、点々と居を変えることの苦悩は如何ばかりでしょうか?職を変えること、転居を重ねることの苦労とストレスを知らぬ者はいないと思います。
 さらに、20km〜30km圏の屋内退避による緊急時避難準備区域は、実際には自主避難に基づく空白地になりました。自主避難のきっかけは同じではないのです。また、当時の人々には当然、放射線の健康影響への相場観はありません。「子どもを放射能から守るために」と煽られれば、止むに止まれぬ思いになります。その結果、家族と別れて二重生活を強いられ離散した家族、経済的に困窮する家族も多く、生業をなくし避難先での自立が困難でも、戻りたくても戻れない家族も多いと言われます。家族や個人の抱える状況は一つ一つ違うのです。羨望の対象か否かは目の前の方々を眺めれば想像がつくはずです。

 一方で、いじめや風評被害は思いやりだけでは決して解決しません。

 福島には、放射線に関する知識を専門家並みに理解し、生活に取り込んでいる人々も数多くおります。一方で、県産食品を未だに忌避する人々や水道水を避ける人々も数多くおります。放射線セミナーを何百回行っても、低線量放射線被ばくの影響などの質問項目は変わらず、知識に変化はないとの報告もあります。しかも、多くの住民が放射線の話題に触れなくなることで知識の二極化が起こっているとのことです。これではいけません。

 何故、学ぶ必要があるのでしょうか? 福島の人々、特に若い人々は、どんな心無い言葉にも、ある時は笑って往なし、時にしっかりと事実を示しながら反論するための護身術として、福島の現実と放射線に関する基本的な知識に裏打ちされた心の強さを持つことが必要なのです。子供に学んでもらうには大人も学ぶ姿勢を示す必要があります。学ぶ意義こそ、全ての人に理解して欲しいのです。

 福島県外の人々は、人として、福島の人々を傷つける発言や行動への感性を高めるためには、福島の今の状況を知ろうとすること、放射線リスクの相場観を持つことが初めの一歩なのです。そして、福島に対する差別や偏見に基づく言動が恥ずべき行為とされるような行動規範が、社会の成熟によって広がって欲しいと思います。海外の方々から日本に対し同じ問いを投げられたら、立場が逆転するのです。そのためにも備えねばなりません。

 我々も、これまでは、放射線の健康影響に関してはどんなに説明を行っても最後の2割の人々には届かないと問題を放置してきました。しかし、「子どもを放射能から守るために」に対しても、そろそろ踏み込まねばなりません。放射線リスクの相場観を、真剣に世に広めねばならないと思っております。

 福島の若い人々の数々の手記や行動から、震災の辛い経験を重ねた子供たちからは、相手を思いやる心に長け、福島の復興や未来の日本のために自ら学ぼうとする強い意志を感じます。この中から間違いなく、世の中を牽引する人々が現れると確信しています。私たちは、未来を担う若い人々の真剣な思いを育てるために、自らの姿勢を見せねばなりません。

平成29年3月11日
原子力・放射線部会
部会長 佐々木 聡

『東京電力福島第一原子力発電所事故から5年を経て −技術士としてすべきこと− 』

 東日本大震災に伴う東電福島原発事故が発生して5年が経過しました。

 普通の生活という、失った人々にしか真に理解し得ないできごとに対し、私たちに償えるものがあるのか?という問いに答えはありません。私たちにできることは、決してこの事故の経験を風化させないこと、この反省を未来につなぐ努力をし続けることであり、生活を一変させられた方々が前に進む力を得て自ら歩んで頂くのを願うことだけです。現地を見て、未曽有の体験をした人々の話や不安を何度も聞き、それを糧に未来のために何かできることは無いかと一生涯考え続け、その姿勢を見せることです。

 私たち技術士は、その技術者倫理に従い、社会の利害から独立で、どんな政策にも組みすること無く中庸な意見を述べる技術者を目指しています。5年が経過した今、被災した方々への支援に留まらず、福島の地域を再建するために真に何が必要なのか?を強い気持ちで考える段階に来ています。5年を目途に暫定的に積み重ねられた対応が、平成28年度には多くが見直されます。また、廃炉に向けた作業においても、包括的なリスクを下げるために対応すべきことも検討されています。私たちは技術士としての誇りに従い、慎重に、しかし勇気をもって、意見を発信していく必要があります。

 また、福島に住む人々の尊厳を今なお傷つけるものに、福島県に住む人々と福島県外に住む人々との間で広がった、放射線リスクに関する知識や福島県の現状に対する理解の格差があります。これは原子力に対する賛否とは別の問題です。来年度から中学生の教科書は大きく変わり、次世代には大きな期待がありますが、不安を少しでも解消するために、今、如何にして情報を人々に届けるかに留意して活動を続けていく必要があります。

 そして、最も大切なことは、原子力・放射線技術に携わる関係者は、「福島の反省が本当に生かされているのか?」という国民の懸念に真摯に向き合っているのかを自ら問い直すことです。原子力・放射線部門の技術士だけでは限界があります。しかし、安全を損なう恐れの芽の多くは、分野をまたがる境界に存在することが多く、他分野の技術士の懸念を伺い、連携や協力を謙虚に求めることで、想像力を高めることも可能になります。このための努力を継続し、ピアレビューの観点から意見を発信していこうと思います。

 『技術士でなければできないこと』に踏み込むためには、厳しい言葉を発する勇気と、そのための努力が必要です。未来の復興を担う若い人々の真剣な思いを育てるために、私たちの姿勢を見せるときです。

平成28年3月11日
原子力・放射線部会
部会長 佐々木 聡

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