男女共同参画推進委員会のホームキャリアモデル男性D&Iモデル 松山正弘さん
まつやままさひろさん
今回、子育て経験という視点から、私の経験を述べさせていただきます。まず、家族の紹介です。
・4人家族(私、妻、息子2人)
・私は建設コンサルタントに勤務して、上下水道の設計(主として下水道)を行っています。
・妻は今でいう理系女子。専門は化学分析で会社員。
・息子2人は長男が1987(昭和62)年生まれ、次男が1989(平成元)年生まれで、親が共働きのため保育所、学童保育所育ち。
現在、子供は成人して、自宅におり、家族4人で生活しています。
妻は、結婚前は具合が悪かった実母を介助するために仕事を辞めていましたが、実母の具合が落ち着いてきたことから、結婚を機に実家を離れて、子供が生まれるまではアルバイトとして働いていました。妻は働くのは当然であるという考え方で、専門である化学分析の知識を生かして、長男が生まれて、1年後にはフルタイムで働き始めました。
今からおよそ30年前のことで、私は建設コンサルタントとして、毎日遅くまで働き、徹夜の泊り込みなどは当たり前の時代でしたので、今でいうワンオペ育児状態でした。2年後に次男が生まれると、妻だけでは対応できなくなり、家事の分担内容を話し合って決めることにしました。しかし、仕事の制約により、私が対応できないことが多く、「家族より仕事が大事なの」と言われ、よくケンカになりました。子育てが落ち着いた頃にそのことについて話してみたら、「協力するみたいな態度が気に食わなく、協力じゃなくて共同でしょう」と言うことでした。このため、我が家では、子供も含めて家事について手伝うは禁句で、完全に分業となっており、できない理由が妥当でなければ、必ず担当する人が行うことが原則となっています。
家事以外では、会社がフレックスタイム制度であったので、出勤時間の融通が利いたことから、保育所送迎の朝の担当でした。連れて行くだけなら問題はないのですが、目を離した隙に、田んぼに子供が飛び込んで泥だらけになって、保育所に着いたら着替えをしたなど、トラブルが発生すると大変でした。
そんな生活の中で、私は小学校に入る前に父親を病気で亡くしていたことがあったため、夫婦で保育所の行事には積極的に参加し、子供たちの成長を見守るのは楽しいことでした。さらに親同士の交流など、子供を通じて世界が広がることになり、親の成長に必要なことだったと感じています。
当時、地元では公営学童保育所ではなく、親同士が自ら運営する民営学童保育所となっていました。このため、事務手続や問題を解決するために、定期的に開催される運営会議に参加することになりました。利害関係のない人たちが集まって物事を進めると、個々の都合や考え方を優先する人が多く、人に配慮することの難しさを味わうことになりました。しかし、夏キャンプなどの行事が多く、子供と一緒に遊ぶ時間も増え、振り返ってみれば一番楽しい時期だったと思います。
小学校では、父親も積極的に学校活動に参加していく時代になっていました。このため、「父親の会」に参加し、校内の美化活動、バザーなどを行っていました。
子供が中学生になると、妻は子供(長男サッカー部、次男バスケット部)の部活の追っかけ、と言うよりも女性同士のおしゃべりという情報交換に奔走していました。その繋がりは今でも続いているので、良かったと思います。私は長年、バスケットをしているので、知り合いから頼まれて、子供が通うのとは別の学校のコーチに就任して、バスケット部の次男と間接的に戦うことになったことがありました。次男から直接には聞いていませんが、周りからいろいろ言われて大変だったようです。
やはり中学生ですので、子供との関わりは、学校活動を通した間接的なものが多かったです。
イクメンと言う概念がない時代の子育てでした。現在、子育て中の方にはどのように映るでしょうか。私としてもイクメンなどと言えるものではなく、生活するうえで夫婦として必要だったために、子育てに参加したに過ぎなかったと思っています。子育てに対する評価では、妻と周りの評価が大きく異なることが普通ですが、妻に評価されなければ何の意味もないことは明白です。私としては、少しは妻に評価されていると思っています。
現在、子供たちも大人なので、親の意見を聞くものの、自分の考えを変えてくれることはなかなかありません。しかし、家族が困ったときには必ず助けてくれます。また、妻と口論になると、妻と私の意見を比べて、より合理的な方に味方してくれるのは頼もしい限りです。子育てには正解はありませんが、こんな単純なことでも子育てして良かったと思っています。
趣味
・練習・試合に参加しているバスケットボール
・バスケットボールで勝つための筋トレ
・歴史小説を中心とした読書
・夫婦旅行
経歴
1958年:青森県青森市出身
1977年:山形大学農学部農業工学科入学
1982年:同上卒業、建設会社就職、海外プロジェクト勤務
1992年:建設コンサルタント会社入社
2008年:技術士取得(上下水道部門・下水道)
2010年:日本データーサービス(株)入社、東京支店勤務、現在に至る
現在、上下水道部会部会長、技術士制度活用委員会委員、埼玉県支部CPD委員会委員、埼玉県支部地域活性化支援委員会東部地域小委員会委員
※注:記事は2019年5月現在のものです。
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