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男女共同参画推進委員会

女性技術士キャリアモデル 峯岸律子さん

峯岸律子さん(建設部門)(拡大画像へのリンク)

峯岸律子さん(建設部門)

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峯岸律子さん(建設部門)

みねぎしりつこさん

女性技術士のキャリアモデルとして寄稿のチャンスをいただきましたが、私がモデルでもよいのかな……なかなか筆が進みませんでした。出産・退職といろいろありましたけれど、今は技術士として仕事を続けられたことを良かったと思っています。

環境保全への関心をもった学生時代

大学は農学系に進み、畜産に関わる環境管理学を専攻しました。在学中にイギリスで自然環境を活かした飼養環境作りを学ぶ機会を得ました。滞在したノーフォーク州は、ピーター・ラビットの田園風景が広がるような美しい場所でした。週末になるとロンドンから家族連れなど多くの人が訪れ、散歩や農家の庭先でキャンプを楽しんでいました。村のあちらこちらで目に付くのは、ナショナル・トラスト (National Trust)注1)のプレートでした。これら美しい景観は、地域住民とナショナル・トラスト、それから行政の連携によって保たれていることを知りました。

日本の美しい田園風景も、このような形で保存し誰もが楽しめたらいいのに……。しかし、当時の日本はバブルの真っただ中、都市近郊の谷津田や雑木林など里山に代表される田園風景が開発により次々と消失していました。私が環境保全に関心を持ったのは、きっとこの頃だったと思います。

建設コンサルタントへの入社 

卒業後は、建設コンサルタント会社の環境保全部門に入社し、地域開発に伴う自然環境の保全対策業務を担当して日本各地を飛び回る日々でした。当時は、現場でデータを取り、その地域に合った保全対策を検討して顧客に提案することに夢中で取り組みました。次第に、自分の考案した環境保全に対するアイデアや思いが形になった時は、仕事が楽しいと思えるようになりました。

2000年代に入ると、アクションプランの策定、住民参画プロジェクト、ビジターセンターやエコミュージアムの企画など、計画策定業務に従事するようになりました。発注者だけではなく利害関係者となるさまざまな主体の方々の声を聞き、協議を重ね、合意点を探るという仕事でした。その仕事を通じて、人と人そして技術者とのコミュニケーションの重要性を肌で感じました。住民説明会やワークショップでは「この人が担当なの?」と女性であることに驚かれ、頼りないと思われる一方で、男性の担当者よりも穏やかに接していただけるという利点もありました。

技術士試験にチャレンジ

女性の技術者であることで他人に与える頼りない印象を補強するには何が必要か、やはり技術者であることを裏付けるものが必要と「技術士」にチャレンジしようと思いました。当時、第一次試験は必須ではなかったものの、まずは第一次試験を受験、合格した後は技術士補として登録し、すぐに第二次試験に臨みました。残念ながら不合格、その後、結婚、出産、育児休暇とすっかり技術士試験のことを忘れていました。

1年の育児休暇を終えて職場復帰後、無理と思いつつ第二次試験に臨みました。ところが結果は合格でした。なぜ受かったのか、自分でも不思議ですが、育児休暇中に仕事から離れたとことで、これまでの自分のキャリアや業務について振り返ると同時に、今後は、子どもを抱えていても専門性の高い仕事に従事したいという強い気持ちがありました。だからこそ技術士という資格が必要であり、必死になっていたからかもしれません。

晴れて名刺に「技術士」の3文字が入ると、取引先とのご挨拶で「技術士さんですね、これは頼りになりますね」と言っていただき、技術士になったことを実感しました。

仕事と育児の綱渡り

ここで夫との話も加えておきますね。残念ながら今時の「家事メン・育メン」のように、家事や育児を率先して行うタイプではありませんが、当初はできる範囲でサポートしてくれていました。しかし、夫も年々仕事が多忙になり、家事や育児のシェアが時間的に厳しい状況になりました。私も技術士として長期プロジェクトなども担当するようになり、保育園の夜間延長サービスやシッターさん、時には高齢の両親の手も借りて、何とか仕事と育児の綱渡りを続けてきました。

しかし、幼い子どもには心や体の負担が大きかったのでしょう、ある朝から嘔吐や微熱など体調不良が一向に改善しない日が続きました。お休みを取るのは専ら私で有給休暇を使いきり、その後は欠勤も多くなりました。そのような状況でも職場の上司や仲間が、身の負担が増えるにも関わらず私の仕事をサポートしてくれました。一方で自分は精神的に追いつめられイライラも多くなり、残業ばかりの夫に妬みを感じるようになりました。夫も大黒柱として必死だったのだと思いますが、当時の私は心の余裕もなく、家庭もいつしかギクシャクしてけんかばかり、今振り返ってもひどい状態でした。

ママ友に学ぶ

夫と相談を重ね、結論として私が会社を辞めて家庭に入ることになりました。決心はしたものの仕事への未練が大きく、心から楽しめない日々でした。そのような様子を見ていたご近所のママ友が、お稽古に誘ってくれるようになりました。なんとなく参加していたお料理、フラワーやヨガなどのお稽古ですが、先生方も、元々子育てに忙しいママで、おけいこに通いつつデプロマをとり、自宅で教室を主催しているということでした。子どもの成長と共に1時間でも2時間でも自分の時間を持てることを心から喜んで、時間を有効に使っている彼女たちの姿に、自分もこんな形で再スタートしようと、本当の意味で会社を辞めたことを後悔しないという決心がついた気がしました。

できることをできる範囲で

せっかく技術士になったのに、資格を生かしていない状態で「女性技術士キャリアモデル」にふさわしくない展開ですね。でもここからが今に続くステップです。コンサルタント勤務時代に「環境と科学技術者の倫理注2)」という本の翻訳に参加させていただきました。このことがきっかけになり、大学のJABEE認定プログラム注3)の「技術者倫理」の講義を手伝ってもらえないかと声をかけていただき、大学で講師をすることになりました。また、環境保全業務の経験から自治体の環境保全施策に関わる審議会委員や技術的なアドバイザリー、環境団体の活動支援などの仕事をさせていただくようになりました。

ある日、自治体の担当の方から「峯岸さんは母親・主婦としての生活者目線と、技術士という専門家の視点があって、お話していていろいろ気付かされることが多いんですよ……」と言っていただきました。技術士になって良かったと真に実感できるようになりました。

家族との時間

現在は、仕事の時間や量などを自分で調整できる働き方となり、子どもの長期休暇に合わせて私もお休みをとり、海や山、谷津田へと出かけています。保育園時代に子どもに負担をかけてしまったという思いもありますが、学生時代にイギリスで体験したような、家族で田園風景や自然を思い切り楽しむことが、子どもが自然を身近に感じ体験的に環境保全の意味を学ぶ機会になるのではと思っています。

実は、息子が生まれるずっと以前の業務ですが、高尾山の山頂に位置するビジターセンターの常設展示の企画制作を担当しました。当時は珍しいハンズオン(触れる、動かせる)という展示手法を提案し、小さな子どもから大人まで、高尾山の自然について体験的に学べる展示を作りました。先日、息子を連れて高尾山に登り、山頂のビジターセンターを訪れました。私が「ここの展示、ママが企画したのよ」と息子に説明すると、「かあさんがやったの、スッゲー」と息子が喜んでくれました。楽しそうに展示物に触れる息子の姿を見て、環境保全に関わる仕事を経験することができ本当に良かったと思えました。

日本技術士会での活動・メリットとは

コンサルタント時代の職場の上司が、日本技術士会の活動に積極的に取り組んでいたこともあり、私も技術士補時代から、会員として部会活動や講演会、勉強会に参加しました。退職後も、時間が許す範囲で講演や勉強会に参加しました。そのうち建設部会の幹事として運営に関わることになりました。

しばしば「日本技術士会に入るメリットって何ですか」、「技術士会に入らなくても、技術士としてやっていけますよね」など質問されることがあります。たしかに日本技術士会に入会しなくても技術士としてやっていけます。しかし、会を通じて同業種、異業種、そして異なる技術部門の方々と交流できることは、自身の技術者としての視野を広める意味で有意義です。

でも、今になって改めて気が付いたことがあります。それは会員として「技術士制度を支える」ことに関わるということです。毎年3万人近い方々が技術士を目指し、難関といわれている試験にエントリーしています。私も技術者であることの裏付として「技術士資格」を取りたいと思いました。

「技術士資格」には、さかのぼること第二次世界大戦後、荒廃した日本の復興に尽力する志の高い多くの技術者たちを支えるために創設された背景があります。この資格を先輩方が、名実共に日本の技術系国家資格として育て、その質と信頼を次世代につないでくださいました。だからこそ、多くの技術者が目標とする国家資格になったのでしょう。

私は日本技術士会の会員として運営に関わるようになり、技術士制度を支えるために走り回る多くの会員の姿を見てきました。時代の変化と共に求められる技術士の立場にマッチするよう法改正や倫理綱領を改定し、グローバル化の波に対応するための国際交渉、技術士の活躍の場を広げるため政府や企業、学協会への働きかけなど、その活動は多岐にわたります。「技術士」という資格の意義を次世代につないでいくために、私も会員として頑張っていかなければと思う日々です。

終わりに

子どもの成長と共に、自分の時間は少しずつ増えていきます。今までの「主婦>技術士」から今後は「技術士>主婦」と割合を変えて仕事の幅を広げて行きたいと思っています。でも、高齢となった両親のことを考え、できることをできる範囲でという枠からはなかなか出られないかもしれません。自分の時間を有効に使って、今後も技術士として社会とのつながりを持っていきたいと思っています。

わたしのデコボゴ技術士ライフに、最後までおつきあいいただきありがとうございました。

できることをできる範囲で(拡大画像へのリンク)

できることをできる範囲で

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私の歩み

1992年 建設コンサルタント会社の環境保全部門に入社
1997年 環境省認定 環境カウンセラー(市民部門)登録
1999年 技術士補 環境部門 登録
 〜この間に結婚、長男出産〜
2006年 技術士 建設部門 建設環境 登録
2008年 退職 しばらく専業主婦
2009年 峯岸律子技術士事務所所長 現在に至る

 千葉大学園芸学部・東海大学工学部 JABEE認定プログラム「技術者倫理」講師
 文部科学省 科学技術・学術審議会 専門委員
 横浜市水のふるさと道志の森基金審査委員会 委員長
 横浜市みどりの夢かなえます事業選考委員会 副委員長
 公益社団法人日本技術士会建設部会幹事、倫理委員会・男女共同参画推進委員会委員

趣味

ワインと手抜き料理、夫との晩酌
昭和の怪獣と怪人の収集(息子に影響を受けてのことですが、その魅力に私も引きこまれました)

注釈

注1) 歴史的建築物の保護を目的として英国において設立されたボランティア団体。正式名称「歴史的名所や自然的景勝地のためのナショナル・トラスト」(National Trust for Places of Historic Interest or Natural Beauty)。

注2) 『環境と科学技術者倫理』 著者:P. Aarne Vesilind, Alastair S. Gunn 訳編2000年9月、(社)日本技術士会環境部会(責任編集:杉本泰治・高城重厚)ISBN4-621-04779-5 出版社:丸善株式会社

注3) JABEE:日本技術者教育認定機構(Japan Accreditation Board for Engineering Education)。大学などの高等教育機関で実施されている技術者教育プログラムが社会の要求水準を満たしているかどうかを評価・認定する機関。 JABEEの認定を受けた教育プログラム修了者は、社会の要求を十分に満たした高い技術者教育を修了したものと見なされる。JABEE認定プログラム修了生は、国際的に通用する技術者として認められ、また、「技術士」の第1次試験が免除される。



※注:記事は2015年10月現在のものです。

添付資料

高尾ビジターセンターの展示

このページのお問い合わせ:男女共同参画推進委員会

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