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男女共同参画推進委員会

女性技術士キャリアモデル 真田純子さん

真田純子さん(拡大画像へのリンク)

真田純子さん

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真田 純子 さん

さなだ じゅんこ さん

スーパーキャリアウーマンではない、技術士の話

 さて私は、妊娠・出産や育児、そして今は介護と仕事の両立で日々もがいている、一人の技術士です。大学や会社に入り「こんなはずではなかった」と思っている方に、少しでも役立つことを願いつつ、ここに寄稿します。

自分だけの頑張りではどうにもならない育児

 私が総合建設コンサルタントであるパシフィックコンサルタンツ株式会社に入社したのは、1992年4月、バブルの末期でした。「大学を出たら働くのは当たり前」程度にしか考えておらず、入社した会社に子育てをしながら働いている女性技術者がいないことを知りませんでした。
 入社4年目の秋に結婚、半年ほどして長女を妊娠した辺りから、周囲の社員とは違う経験をしていくことになりました。当時は、産前産後休業や育児休業を取った者がほとんどおらず、育児休業後に復帰した女性社員は皆無という状況で、社内の制度自体が整っていなかったのです。自分がその立場になって初めて、その事実を知りました。やっと仕事を任せてもらえるようになったところでの妊娠・出産です。同期の仲間はバリバリと仕事をしている中、子育てしている女性の先輩もいなく、本当にこの会社でやっていけるのだろうかと、急に不安になりました。さらに長女は体が弱く、度々高熱を出しました。夫、私、双方の親で交互に看病するような状態であり、同年代の社員と同じように現場に出たり、講習会に参加したりすることはとてもできませんでした。自分だけの頑張りではどうにもならず、「こんなはずではなかった」と初めて思ったのは、長女の育児休業復帰後でした。

第二子と技術士の二兎を追って気づいたこと

 次に「こんなはずではなかった」と思ったのは、技術士の取得でした。
 長女を27歳で出産した後、第二子も欲しいと思っていましたが、これは技術者として一人前と認められてから、技術士をとってからにしようと考えていました。一発合格を目指して猛勉強を始め、厳しくも温かい上司の添削指導のおかげで、筆記試験は合格。ですが、口頭試験は特別に準備しなくても受かるだろうと、高を括っていたことが大きなツケとなり、初受験は口頭試験で不合格となってしまったのです。2回目の受験では筆記試験すら不合格となり、技術士一発合格、第二子妊娠という予定は大きくずれていきました。このままでは長女と第二子との年の差は広がっていくばかりです。奥の手として第二子妊娠・出産と技術士合格の二兎を追うことにしたのですが、子どもは授かりもの、欲しいと思ってもすぐには妊娠しませんでした。
 今振り返ると、第二子の妊娠・出産と3回目の技術士受験をした31〜32歳が、人生で一番つらい時期でした。私の場合、本当に幸運なことに、二兎のうちの一兎、第二子を諦めかけた時に、妊娠することができました。後は技術士試験に合格すればよいだけです。過去の過ちを繰り返さないように、試験対策は手を抜かずに頑張り(産院でも口頭試験対策!)、無事合格を手にしました。
 この時の経験からお伝えしたいことは、「技術士の取得」は自分自身が頑張ればよいことで、妊娠・出産と比較すると、さして大変なことではなかったかもしれないということです。資格取得のための勉強は単純です。頑張れば、必ず報われます。来年また受験すればよいと思っていても、来年はその受験すらできなくなるかもしれません。今努力できるのであれば、どうかその努力を惜しまないでください。私は三度目の技術士受験に人事を尽くして合格できたことが、今につながっていると思っています。

ボスジレンマに陥る

 次女が中学校に入学し、長女妊娠から18年間に及ぶ子育てが一段落したのは、44歳、まもなく45歳になるときのことでした。子どもが小学生のときには辛かったマネジメント職も、ようやく自信をもって引き受けることができました。会社の制度を使ってビジネススクールにも通い、英語も習い始めました。
 ところが、そんなバラ色の日々は短かく終わりました。子育てが一段落したのもつかの間、今度は親の健康問題が出てきたのです。私は、子育て期にも感じていた「ボスジレンマ」に再び陥いることになりました。私がマネジメントしていた室には、事情を抱えて働く人が何人もいました。室員の負担を少なくしようと自ら動かす業務が複数ある中で、室員一人ひとりの話を聞く時間の確保はなかなか難しいことでした。私は室員のために全力を尽くしているのだろうか、仕事よりも自身の家族のことを優先させているのではないか、仕事を言い訳にして家族に犠牲をしいていないだろうか、室長職にあった5年半は、常に悩んでいました。
 子育てが一段落したら、理想とする働き方ができるのではないかと思っていた私は、三度「こんなはずではなかった」とつぶやくことになりました。

人生100年時代の働き方に向けて

 「こんなはずではなかった」と度々思いながら働き続けてきましたが、私は時代を少し先取りしているだけであり、これからは育児や介護、自身の病気などを抱える人たちが助け合って働いていく社会になるのだろうと考えています。ボス自身のワーク・ライフ・バランスを如何に図るか、この点も大きな課題であり、今後議論が進むことと思います。
 人生100年だとは思わずに働き始めた私ですが、50代半ばに近づいてきたところで介護に関しては、私は自分の両親、一人っ子の夫は夫の両親のところへ、週末にそれぞれ通うことでやりくりしています。この方法がいつまで通用するのかはわかりませんが、私がこれまで経験してきた「こんなはずではなかった」は「どうにかなった」に変えることができたので、これから先も少しずつ「どうにかなった」を増やしていきたいと思っています。

※注:記事は2022年11月現在のものです。

プロフィール

1992年 3月(22歳)  東京農工大学農学部環境保護学科卒業
1992年 4月(22歳)  パシフィックコンサルタンツ株式会社入社、環境アセスメント制度の検討やアセスメント業務担当
1995年 9月(26歳)  結婚
1996年12月(27歳) 長女出産
2001年11月(32歳) 次女出産
2013年 7月(44歳) 公益社団法人日本技術士会 男女共同参画推進委員会委員(2017年まで2期務める)
2014年10月(45歳) パシフィックコンサルタンツ株式会社で室長(課長相当)に昇進
2016年 5月(46歳) 環境アセスメント学会理事
2017年10月(48歳) NHK「首都圏ネットワーク」でボスジレンマについて語る
2020年 4月(50歳) 室長降職
2022年 6月(53歳) 親が介護認定を受ける

●NHK「働き方改革 ボスはつらいよ」
 2017年10月16日のボスの日放映に向けて、NHKの取材を受けました。業務量が減らない中で残業時間を減らすにはどうすればよいのか、個々の事情を踏まえた人材育成とはどうあるべきか、答えはなかなか見つからず、ボスの悩みはつきません。

※注:記事は2022年11月現在のものです。

NHKの取材(拡大画像へのリンク)

     NHKの取材

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